零式艦戦用塗色「飴色」-再考

初期の零戦に塗られた灰色系海軍機塗色についての議論も出尽くした感がありますが、私はこの時期の零戦(および九九艦爆)の色は、論争の中心になったいわゆる「飴色」を始め、ニュートラルグレー、褐色がかったグレー、緑色がかったグレーなど幾つかのバリエーションが在ったと考えています。

いささか食傷ぎみの「飴色」ですが、もう一度整理しますと、1942年2月に作成された空技報0266号「零式艦戦迷彩に関する研究」報告書に、現用零式艦戦用塗色として登場する仮の名称です。報告書によると現用の零式艦戦の色はテストに使われたどの規格色とも違う色として以下のように説明されています。「現用零式艦戦用塗色はJ3(灰色)のわずか飴色がかりたるものなるも光沢を有する点、実験塗色と異なれり」とありますから、私は単純に〜現用の零戦の色はJ3(灰色)ではなかった〜と解釈します。尚、飴色がかりたる灰色なので「飴色」と呼ぶのはおかしいのですが、報告書でも略して「飴色」又は「現用飴色」と呼んでいますので便宜上以後そのように呼びます。

忘れてならないのは、この空技報0266号は現用の戦闘機〔零戦)の塗色を決める為に行われた実験の報告書であるということです。この実験は開戦の直前1941年11月より翌年の2月にかけて行われています。これは中国大陸での零戦の華々しいデビューから一年以上も経っており、また真珠湾攻撃に参加した零戦のほとんどが完成した後の事なのです。その意味に於ては異例の実験報告書と言っても良いでしょう。

零戦の正式採用から一年半あまりもの間、暫定的塗色=飴色が使われ、さらに、この迷彩実験で濃緑黒色(D2)がもっとも迷彩効果があると判定されましたが、味方識別を容易にするため戦局が守勢にまわらない限り「現用飴色のままとする」決定がなされています。結局1943年8月にこの実験報告から上面-濃緑黒色 (D2)、下面-灰色(J3)の規格色にそれぞれ塗ることが決定されるのですが、それまで零戦は現地応急迷彩を含め、実に3年に渡って規格外の塗色であった訳です。

それまで海軍艦上機の正式塗装は銀色(銀塗装または無塗装)だったのですが、零戦は試作機から灰緑色に塗られていいます。銀から灰色への変更について何らかの通達があったのか、その経緯については未だ憶測の領域を出ませんが、長引く日中戦争や欧州の戦局を鑑み(近い将来の開戦を予想し?)より実戦的な迷彩の必要性をメーカー、軍部のいずれかが認めての措置でしょう。

ただしここで注意しなければいけないのは、「わずか飴色がかりたるJ3」と報告書にあるように、現用の零式艦戦の色は、規格色(J3)灰色に非常に近い色で、これは(J3)灰色を意識した色〜と考えて良いのではないでしょうか。報告されている数々の似通ったは色は、色味の差から発生したバリエーションと捕えるべきでしょう。この(J3)の範疇における微妙な差が意図的なものか、アクシデンタルに生じたものかは分かりませんが、私は以前に書きましたように製造メーカーが意図した可能性も充分あると考えています。

「雑想ノート」の映画「バトル・オブ・ミッドウェイ」 にもあるようにカラーフィルムに灰色とは別の色(カフェオレのような)の99艦爆の翼が写っていますし、現存する破片にもこの色はあります。珊瑚海海戦での不時着機(97艦攻)の破片の色などまるで第一次大戦フランス機(スパッドVIIなど)にぬられたライト・イエロー・オーカーのようです。もちろんニュートラルなグレーの零戦の破片も存在し、戦時中連合軍に撮影されたカラー写真にも同様にニュートラルグレーの零戦32型(ブナで捕獲)や零戦22型が写し出されています。

径年変化説には「ニュートラルなグレーから色味のあるものへ」の変色説と「色味のあるグレーからニュートラルなグレーへ」の白亜化説の2種があり、当初、私も黄色味のある破片は経年変化による変色とも思いましたが、現在では双方のサンプルが数多く存在し一方のケースだけが発生した〜とするには無理があるよう思えるのです。前述のように零戦は現用飴色(規格外の色)のままで良しとされたのですから塗色に多少のバラつきがあっても良いのではないでしょうか。「おおむね(J3)灰色系ならば良し」とされた状況が伺えるのです。

<つづく>

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