カラー記録映画「バトル・オブ・ミッドウェイ」
最近になって第二次世界大戦中のカラー写真やフィルム映像が発表されるようになり、白黒だった第二次大戦の印象も変わりつつあるように思いますが、アメリカ軍が撮影した多くの記録映画のなかに、ハリウッド有名監督によるカラー記録映画が幾つかあります。中でも最も有名なのは戦後「ローマの休日」を撮ったウィリアム・ワイラーによる「メンフィス・ベル」でしょう。数年前に同名の映画がリメイクされましたが、このオリジナルはあの有名なB−17「メンフィス・ベル」の最後のミッションをカラー実写記録したドキュメンタリーです。その他「ジャイアンツ」(原題はGIANT)や「シェーン」で知られるジョージ・スティーブンス監督も欧州で陸軍の報道班を指揮し、連合軍ノルマンディー上陸からベルリン陥落までの記録を貴重なカラー35mmのフィルムに残しています。
今回ご紹介する映画「バトル・オブ・ミッドウェイ」は「駅馬車」「怒りの葡萄」などの名作で知られるジョン・フォード監督がミッドウェイ海戦時、日本軍の攻撃を受けるミッドウェイ島の様子を撮影したカラー・ドキュメンタリーです。(1976年ユニバーサル映画「ミッドウェイ」とは別モノ)ジョン・フォードは1938年すでに「駅馬車」で名声を得ており開戦の年には「我が谷は緑なりき」でアカデミー監督賞と作品賞を受賞しましたが、開戦するとすぐに海軍に志願し情報記録班に大尉として徴用されました。ご存じのようにこの時アメリカ海軍は日本軍の暗号を解読しており、戦意高揚の記録映画撮影の為にジョン・フォードをミッドウェイ島に派遣したのでした。
豊田穣著、文芸春秋刊「ミッドウェー戦記」の冒頭にもジョン・フォードがアシスタントともにカメラを構え、日本艦載機群の攻撃をいまかと待ち構えている様子が描かれていますが、実はこのジョン・フォードの記録映画に、昨今話題の「謎の色」が登場しているのです。上の写真は2つともこの映画からですが、左の燃える翼は対空放火に被弾しイースタン島の滑走路に墜落した赤城の零戦21型のもの【注:捕捉】で、右の残骸は数日後に撮影したと思われるサンド島に墜ちた99艦爆の翼端です。この映画を以前に見た時は左の写真、燃える翼(一般的な灰色J3)の印象が強く、別のシーン、右の残骸の色には気が付きませんでした。確かに別のカットで撮影条件が違うとは言え、右の99艦爆の残骸は快晴の直射日光の下でもハッキリと灰色より暗い色に塗られているのが判り、以前から話題になっていた珊瑚海海戦時に不時着水した97艦攻 翔鶴 EI-306 の(謎のマスタード色参照)と同種の色に見えます。
なによりも興味深いのは、この映画に登場する残骸はリアルタイムにカラーで撮影されたと言う事実です。初期灰色系迷彩についての今までの調査では、アメリカ国内に残る零戦などの破片から大別して単純な灰色と緑褐色系(黄褐色を含む)の2種が確認されていますが、経年変化の問題があるためそのまま信用する訳には行きませんでした。灰色論者は緑褐色を経年変化の結果とし、灰緑色論者は灰色をその逆〜というように、どちらが本当の色か?で議論の解決を見ない状況でした。しかしこの映画では違うカットとはいえ一般的な灰色(J3)に塗られた零戦21型翼の残骸と、それよりもやや暗い褐色がかった色に塗られた99艦爆の翼端部の二種が同時に確認されるのは特筆されるべきと思います。
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10/30【捕捉】リサーチャーの浅野優さんから「上左写真のシーンは演出の為に米軍機の翼を使って撮影された」とのご指摘を受けました。なるほど更めて見ると左の写真、翼断面は確かに零戦のものではありませんね。どうもありがとうございました。右の写真は日の丸のサイズ、スパーとの位置関係から九九艦爆の翼端に間違いないと思います。
上左の写真の代わりにJ3系灰色の戦時中のカラー写真、有名な零戦32型 報国870号 V-187を掲載しておきます。
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