謎のノーズアート「殺人光線」

Bー25が続きますが、かなり前にこちらのケーブルで放送されたドキュメンタリー番組に見慣れないノーズアートを描いたBー25が写し出されました。Bー25C改造のガンシップでなんと漢字で「殺人光線」!と書かれているのです。朝鮮戦争当時に日本の基地から飛んだA-26などに日本語を使ったノーズアートが書かれた例はありますが、この映像は登場するクルーの服装から間違いなく太平洋戦争当時のものと分かります。なんとなく時代にそぐわない「殺人光線」という語句にも驚かされました。

実はこれ、私の震電改マーキング「電光石火」のヒントにもなっているのですが、敵性語でノーズアートを書くという大胆不敵な発想が気に入りずっと気になっていました。しかし以来この謎のノーズアートについてかかれた文献等ついぞお目にかかることはありませんでした。以前このHPにもご紹介したBー25ガンシップについての本、"Warpath Across The Pacific"の著者に聞けば何か分かるかもしれないと思っていましたが、最近まったく別の件(ブナで捕獲された零戦について)コンタクトした別名の人が、実はこの本の著者 "Lawrence J. Hickey" その人だと分かったのです。

■写真はケーブルのドキュメンタリー番組よりビデオ映像。

そこで長年の疑問を尋ねてみたところ次の事が判明しました。ニューギニアで第3爆撃航空群、第8 爆撃飛行隊に配属された複数のBー25がこのマーキングを書いていたと言うのです。しかし実際に何機あったかは不明で、生存者の記憶によると3〜6機ということです。一般にフライトログなどの記録は機体ナンバーや機体固有の識別レター等で記されニックネームやノーズアートは付記される程度です。氏はこのビデオ映像の存在は知らず、氏の手元にある写真で現在までに2機確認していたそうですが。今回このビデオ映像に登場する尾翼に”S”のある機体で合計3機まで確認することができました。図はビデオ映像とHickey氏の情報を元に描いたBー25のプロファイルです。

前述のようにノーズアートを追って記録を調べるのはなかなか難しいと言うことが今回よくわかりましたが、ノーズアートはクルーの編成替えなどで頻繁に書き換える例も多く、この”S”の機体もガンシップに改造される前は別のニックネーム「ニップ・クリッパー」を書いていました。期間で言うとこの「殺人光線」は1943年の6月から11月にA-20を受領するまでの比較的短い間に書かれ使用されているので、今後別の写真が出てくるかどうか?今回判明した尾翼にK、L、Sを書いた3機のみだったのかも知れませんし難しいところです。Hickey氏はこの「殺人光線」の機体についても発表すべく次の本を準備中だとのことですが「殺人光線」についての公表はたぶんこれがが初めてだと思います。

低空で敵に読めるようにと、大胆不敵なこのアイデアは機長の一人が発案し情報部隊の日系アメリカ兵に頼んで翻訳してもらったそうです。しかし「殺人光線」とはモダンな響きですね。この日系アメリカ兵は空想科学小説のファンだったのでしょうか?^^)

最後にBー25改造ガンシップのプラモでは、前回ご紹介したレベル1/48のB-25が、ガンパックのパーツを追加されエアアパッチで有名なBー25Cガンシップ“ダーティー・ドーラ”のデカールで1985年に発売(#4585)されています。実機もグラスノーズを塗りつぶしただけなのでメーカーとしては簡単で魅力あるバリエーションですよね。昔あまり飛行機に詳しくない友達がこのパッケージを見て安直なBー25H型キットだと思ったのでしょう。模型屋で大笑いしたのを思い出します。アキュレイトも新作B-25を近く同じ要領で“ダーティー・ドーラ”B-25Cにして発売の予定です。(ハセガワさん、「殺人光線」如何ですか?^^)

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