当時実機を見た人達の証言、「青畳色」「うぐいす色」「草色」等はすべて航空雑誌あるいは模型雑誌に発表されたもので、著者自身の記憶あるいは著者が直接聞いた証言として書かれたものです。「青畳色」は戦前からのソリッドモデラーの証言として吉村仁氏が発表されてました。「うぐいす色」は長谷川一郎氏の表現。また「草色」はパイロットの証言として長谷川一郎氏、渡辺利久氏が書かれてていました。なお、長谷川一郎氏はこの「草色」を現地で上面色に下面色を混ぜて塗った色の可能性もあるとしています。零戦パイロットで山本長官機、6機の護衛戦闘機の生存者、柳谷氏は零戦の下面は「空色」だったと表現しています。同じく零戦パイロット・エースだった小高登貫氏は著書「ああ青春零戦隊」光人社のなかで「ケンダリー基地は以外に大きく草原の飛行場であった。そこには当時開戦以来の進攻作戦でならした零戦二一型および三二型がうす緑色の翼を休ませていた。」と昭和18年の1月、セレベス島ケンダリー基地にあった海軍202航空隊の印象を書いています。時期と場所から私はこのうす緑色を応急迷彩の色ではなく、オリジナルの全面灰緑色と判断します。
私のHP初期零戦灰緑色説に関して航空史研究/航空機復元の大脇克司さんからメイルをいただき貴重な情報を提供していただきました。氏がお持ちの「桜花」の羽布がまさにSKYといっていいほどの黄緑系灰色であることです。三菱灰緑色説を裏づける証拠ではありませんが、メーカーが違うといえども日本海軍がこのような色を使ったという事実が確認出来たことは収穫でした。また同時に現存している実機の部品から、陸軍機の灰緑は青緑に。海軍の灰緑は黄緑に偏っているという事実もお知らせいただきました。これも零戦灰緑説を調査する上で非常に助かります。私はいままで一般にいわれるように陸軍機の方が緑が強いと思っていたので、零戦の色が緑がかっていた〜とする連合軍側の資料は陸軍機の見間違えを考慮しなくてはと思っていたからです。以前チャンプリン・ファイター・ミュージアムで見た九七戦の方向舵(写真)が意外に青かったことに納得がいきました。この色はFS595Bの数値でいえば25526ぐらい青く見えました。
昭和18年以降工場から出てくる濃緑迷彩機の下面の灰色は全面灰色迷彩の色とは違うと考えています。「濃緑迷彩が採用された時点で同時に下面は緑みのない灰色となった」(丸メカ・秋元実氏)とする資料もあり、また米国や英国の資料ですが、Aero Publishers "JAPANESE NAVAL AIR FORCE CAMOUFLAGE AND MARKINGS WORLD WAR II" by Donald W. ThorpeやPutnum "JAPANESE AIRCRAFT OF THE PACIFIC WAR" by Rene. J. Francillon は、いずれも全面灰色迷彩機の色と濃緑塗装機の下面の色は違うとし、濃緑迷彩機の下面色のほうが全面に塗られた色より明るいとしています。フォトギャラリーに掲載したサンタモニカの22型は当然三菱製ですが上面濃緑塗装機です。この機体下面のオリジナル塗装は多少青みがかって見えましたがいわゆるニートラルグレーでした。
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