ここしばらく調査している灰緑色について、心当たりのありそうな方々にお手紙を出したのですが、その返事が幾つか返って来ました。こちらの戦後世代の研究家は日本の出版物に絶対の信頼を置いているようで正直言ってあまり収穫はありませんでした。日本で定着しつつある飴色説に私個人としてはいくらか疑問を持っているのですが、こちらの研究家のなかにはこの飴色説を詳しく説明してくれた人もいました。そういう意味では模型雑誌といえども責任重大ですね。一方戦中派のお話しはやはりインパクトがありました。太平洋戦争中ATIU、Technical Air Intelligence Unit(敵機の捕獲調査を目的とした情報機関)のメンバーで実際にニューギニアやフィリピンで日本機を調査した方からいただいたご返事には、当時の日本軍機の印象などが書かれており、いささか興奮した次第です。この方はフォトグラファーとしてこの部隊に所属しており、よく見るアメリカの国籍マークをつけて飛行中の日本機の写真はほとんどがこの方の撮影によるものです。お手紙のなかに機内色について以下の記述がありました。"The interior of the cokpit, in all Japanese aircraft, was usually in unfinished condition. The only paint used inside the aircraft was an oxide yellow green flat paint to reduce glare and reflections from the aluminum surfaces."〜ほとんどの日本軍機の操縦席は、塗装未完の状態で、唯一、つや消しのジンクロ系黄緑色が金属の反射を防ぐために塗ってあった〜ずいぶん昔の記憶ですので〜これをどう読むか〜が問題ですが、私は、外国機とさほど違わない緑系の不透明塗料が彼の記憶に残り、日本機独特の青系透明塗料の記述がなかったことに強く印象付けられました。青色透明塗料はひっかいたりすると簡単に剥がれることから一部ではケガキ線を入れるためにも使われたということで、当然物が当たったりする可能性のある乗員の接する機内は、さらに上から不透明塗料を塗るのが前提だったと考えられます。上塗りを省略した場合現われる透明青色の防蝕塗料はやはり下地にしか見えず未完の印象を与えたのか。それともこの防蝕塗料も省略された機体が多かったのでしょうか。いずれにせよ依然興味の尽きないエリアではあります。
私のフォトギャラリーにある零戦22型の残骸の操縦席はほとんど無塗装状態になっていましたがこれは戦後50年もの間雨ざらしだったためです。操縦席は機内ですので機外ほど丁寧な防蝕処理はされていません。しかし残骸となった機体では機外同様に露出しているので塗装は急速に劣化しします。外部に塗られた海老茶色のプライマーが残っている機体でも操縦席に塗装が残っている場合は稀です。正確に言えば塗料の劣化および剥離は日差しと雨の直撃を受ける水平上面がもっともはげしく上記22型も陰になる隅のほうには鮮やかな透明青色塗料がのこっており、残骸の置かれた状態(ポジション)にも大きく左右されるようです。確かに日本軍機の場合この22型のように陰になった翼下面の保存状態が非常によいケースが多々あります。南方にのこされた多くの大戦機の残骸を調査したCharles Darby氏は著書Pacific Aircraft Wrecksのなかで「日本軍機の防蝕塗料は連合軍のものより優れているため連合軍機に比べ機内の保存状態がよい」と述べ、ジャングルに残された一式陸攻の操縦席内部の写真が添えてありました。この写真を見ると操縦席は緑系の不透明色で塗られていますが場所は日のあたらないような深いジャングルの中で、それだけに塗料の劣化は少なかったようです。質が悪かったとよく言われる日本軍機の塗料ですが、こすれなどに弱い反面、錆びなどに対する防蝕効果は連合国機より高かったようです。
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