航空写真(藤沢上空)
私は神奈川県藤沢市の出身なのですが、エアバスを飛ばしておられる知り合いの方がわざわざ藤沢上空で写真を撮影し送ってくれました。左に相模湾が遠く伊豆半島までも望めます。左画面ギリギリに小さく海に突き出しているのが江の島で画面右上にはに富士山も写っています。私の実家は画面の左下にある筈で大変懐かしく拝見しました。
懐かしく〜といってももちろんこのアングルからは初めてですが、海軍302空(厚木)や陸軍244戦隊(調布)の戦記を読んでいると「藤沢橋上空」「江の島上空」等、この空域での集合や空戦などの記述がよく出てくるので何度となく頭に描いたアングルです。ご存じのように大戦末期サイパンから爆撃に向かうBー29群は富士山を目標に一路北上し本土へ侵入した後、各々名古屋、大阪、東京方面に向け変進しました。帝都へ向かう一群は本土侵入後東へ変進、爆撃後は九十九里から海上に抜けるというのがおキマリのコースで関東地区の陸海軍の防空戦闘機隊はこのコース全域に迎撃を展開しました。旧オータキ(現アリイ)の1/48 大戦機シリーズは渡部利久さんの素晴しい箱絵でも有名で私もファンの一人ですがそのうちのひとつ、「雷電」キットの箱絵がまさにこの空域を背景に厚木を飛び立った302空の雷電21型が描かれています。
アメリカへ来て「雷電」や「グラマンF6F」等の実機を初めて見た私にとって太平洋戦争中アメリカ本土上空では戦闘が一度も行われなかった事実は何か皮肉な感じがします。一方日本の空で戦闘が繰り広げられた〜という事実も忘れがちな事ではないでしょうか。
終戦直後、日本では旧軍関係の痕跡が速やかに処理されたのも理由の一つでしょうが、幼い頃、友達のおじいさんやおばあさんから「◯◯道にグラマンが墜ちた」「◯◯に陸軍の高射砲砲陣地があった」「グラマンが◯◯小学校の校庭を機銃掃射していった」などと、地元の地名まじりで話されてもにわかには信じられず、何か太古の話を聞くようでした。しかしそれがたかだか10数年前の話をしていた事に気付いたのは後々の事です。
もうひとつ好きな「雷電」キットに、グンゼ産業が国産レベルキット第一号として発売した秀作、レベル1/32「雷電」キットがあります。このキットは発売当時中学生だった私も早々に買って作った記憶がありますが1971年版のプラモガイドに発売なったばかりのこの1/32「雷電」キットの紹介記事があり、その中にこんな記述がありました。「塗装の最も楽なのは写真などの多い302空の所属機で、当時関東に在住していた人なら思い出もあるだろう。」
グンゼレベル1/32「雷電」の発売から30年近く経ちますが、1971年当時のプラモデルファン、購読者の大半が戦中派だった事を伺わせるこの記述に、このキットとの付き合いにも歴史を感じた次第です。
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